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末期がん(肝臓がん)闘病記 15

15:家族から肝臓移植のススメ2

~この闘病記の内容は2004年(平成16年)3月頃の出来事です。~



妻は私の言う事など聞こうともせず、気まずい空気が部屋中を流れていた。

そんな中主治医が
「今は医療技術も進歩しています。
血液型が同じであれば肝臓の移植は可能だと思います。」 と言った。


私の家族は皆血液型がO型だったので
息子も娘達も肝臓提供者になると言い出した。


私はそんな様子を見て、
『皆一体何を言ってるんだ。どうしてしまったんだ。』
とどうすれば良いのか分からなくなってしまった。


息子や娘達にはまだ小さい子供がいる。 私にとっては本当にかわいい孫達だ。。。



私は、
「やはり肝臓移植はしなくていいです。」 と主治医に断った。

主治医は、
「肝臓移植の経験がある大学病院に紹介状を書きますから
奥様と一緒に一度、その大学病院へ行って相談されてみて下さい。」 と言った。



その後、家族と共に主治医の部屋を出て病室へ戻ったが家族と何を話したのか
頭の中が空白で今でも思い出す事が出来ない。

ただ、肝臓移植をするのに保険が効くという事は何となく覚えている。

その他の事はあまり覚えていない。



後になって分かった事だが、私は肝臓がん末期症状であったため
妻は主治医から
「ご主人は進行性の肝臓がんで末期症状のため、抗がん剤の
治療をしたとしても余命3ヶ月でしょう。」

と余命宣告をされていた。

私自身にはこの余命3ヶ月と言う宣告は知らされていなかったが
妻はこの主治医からの余命宣告を聞き、息子や娘たちにその事を相談したに違いない。


時間が無いため、妻や子供たちはどうしたら私を生かす事が
出来るだろうと、ありとあらゆる手段でいろいろ調べた結果、
肝臓移植という事にたどり着いたのだと思う。

そして妻が主治医のところへ出向き、肝臓移植の相談をして、
この日に主治医から唯一私が生きるために残された肝臓移植への
説明が私にされたのだ。


気持ちはとても嬉しいし感謝もしている。。。

だけど、私のために健康体の家族の身体にメスを入れる事に
私は決して賛成は出来なかった。。。









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⇒16:肝臓移植の話しを聞きに大学病院へ







私は末期がんを家族の支えと自分自身の直感を信じ続け、乗り越えて来ました。
同じ境遇の方々に『生きる勇気と希望』を感じて頂けたら幸いに思います。
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