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末期がん(肝臓がん)闘病記 201
201:暗く長かったトンネルに光が見えてきた
~この闘病記の内容は2005年(平成17年)11月頃の出来事です。~
皮肉にも私にとって初めての入院が 肝臓がん しかも 末期 症状での
闘病生活と言う形になってしまった。
そして2004年(平成16年)3月19日、
妻が主治医より余命3ヶ月の宣告を受けた。
その事は私には一切知らせず、家族がいろいろ話し合い、
唯一生きられる希望として肝臓移植を決めた。
妻が私の肝臓の提供者になってくれる事になっていた。
私は以前、体調の異変を感じてから
今とは違う2種類の健康食品を飲んでいた。
がんの告知により量を増してそれを飲んでいたが
一時的には肝機能の数値に改善が見られたものの、
すぐに一気に元に戻ってしまった。
その事が家族への決断となったのかも知れない。
そして妻と二人で大学病院へ行き、肝臓移植の話しを聞いた後に
私がとった行動が運命を左右した。
私は友人、知人に がん に良いとされるものを探して欲しいと必死で頼んだ。
その私の思いと行動が一人の友人に届いてくれた。
命の恩人、伊藤さんが探してくれたこの2種類の健康食品を飲み、
私の直感を信じてくれた妻と子供達、この家族の支えがあったからこそ
私は生きる事が出来たのだ。
暗く長かったトンネルの中にもやっと小さな光が見えてきた。
家族とは本当にありがたいものだと心の底から感謝した。
家に戻ると遊びに来ていた子供達に
妻が私の結果について話しをしていた。
子供達も
「お父さん、お母さんから話を聞いたよ!本当に良かったね!!!」と喜んでくれた。
本当に子供達にもずいぶん心配をかけてしまった。
入院の前日、チューブを取る前に
妻に頼んで1枚だけ写真を取ってもらう事にした。
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このブログのトップページに出ている左の写真がその時撮ったものです。
この時の私の体重は60キロ、病気になる以前よりも太っていました。
右は今年(2007年)の3月に撮りました。
このように傷はまだ残っています。しかも痩せてます(笑)。
『これでやっと念願だったチューブを外す事が出来る・・・』
私はこの日が来るのをどれだけ待ち望んでいた事か。。。
晴れて本当の意味で自由の身になれると思うと
心の底から喜びが湧いてきて止まらなかった。
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⇒202:チューブが抜けるか否かの検査を受ける| 私は末期がんを家族の支えと自分自身の直感を信じ続け、乗り越えて来ました。 同じ境遇の方々に『生きる勇気と希望』を感じて頂けたら幸いに思います。 私の経験してきた闘病生活などのご質問やご感想等、何でも投げかけて下さい。 メールを頂ければ可能な限りご回答致します。 ◆メールはこちらです。◆ |
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