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末期がん(肝臓がん)闘病記 211

211:肺がんで亡くなった父の事を想う

~この闘病記の内容は2005年(平成17年)11月頃の出来事です。~



病室に戻りベッドに横になった。

少しの間寝てしまったのか、ハッと目が覚めた。


いつものように点滴台に目が行った。

吊るしてある点滴液の量を確認することがいつしかクセになってしまったようだ。

私が目を向けた先には何も無かった。


私はわき腹に手を当てて胆汁がしみ出ていないか確認をした。

そっと手を当てるが大丈夫だった。

主治医の話では
「チューブが通っていた所は胆汁の通り道のため
その穴からしばらくの間は胆汁が出てくるかも知れない」と言われていたが
しみ出て来なかったので胆汁は胆管を通じて正常に流れているようだった。


そして私はもう一人大事な人に連絡をした。

命の恩人、伊藤さんです。

私が飲んでいる健康食品を探してくれた友人、いや、命の恩人の伊藤さんに
チューブが抜けた事を報告した。

伊藤さんも
「エ~ッ?! 本当に? 良かったねぇ!!!」と喜んでくれた。



私は正直なところ、この健康食品を飲むことで がん の進行が少しでも遅くなり
せめて1~2年、生き延びられたらという考えもあった。

そうなる事でその間に仕事やその他、自分の身辺整理が出来ればと思ったからだ。


そうすればもし私が死んでも残された家族は
大変な思いをしなくて済むのではないかと・・・。




その日の夜、私はベッドの中で父と兄の事を思い出していた。

父は私が入院していた病院で【肺がん】のためこの世を去った。69歳だった。

父が息を引き取る前、
私はまだ当時幼かった子供達3人を連れて父の病室へと行った。

父のベッドのそばに行き、
子供達がひとりずつ「じいちゃん」と声をかけながら近づいて行った。

父は言葉さえ交わす事が出来なかったが子供達が声をかける度に
優しそうな顔で「うん、うん」とうなずいていた。


その日、私達が家に戻ってきたと同時に父の急変の知らせの連絡が入り、
「すぐに病院に来るように」との事で私達はそのまま病院へ向かった。


しかし父の最期を看取ることは出来なかった。



私は父のベッドの脇に立ち、父を見つめていた。

私は父の手にそっと触れてみたがその手はまだ温かかった。

父の手に触れたのは本当に久しぶりだった。。。

私はこの手で育てられたのだな・・・と気持ちがいっぱいになった。


子供の頃、父が良く自転車で近所の銭湯に連れて行ってくれた。

自転車の前に私を乗せ、後ろには兄を乗せ父はこいでいた。

銭湯から出るとすぐとなりにあった店でいつもジャムパンを買ってもらった。

私はそのジャムパンが大好きだった。。。


そんないろいろな思いがよみがえって来た。

あの時の父の手の温もりは今でもはっきりと覚えている。

父が息を引き取る時、最期を看取ったのはおふくろだった。。。









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⇒212:胃がんで亡くなった兄の事を想う



私は末期がんを家族の支えと自分自身の直感を信じ続け、乗り越えて来ました。
同じ境遇の方々に『生きる勇気と希望』を感じて頂けたら幸いに思います。
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