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末期がん(肝臓がん)闘病記 233
233:セリを採る妻を見ながら思い出す
~生体肝移植を考えた妻・・・~
~この闘病記の内容は2006年(平成18年)2月頃の出来事です。~
採り始めてどれ位時間が経っただろうか、セリを入れる袋が一杯になってきた。
セリ採りをしながら伊藤さんはしきりに時間を気にしていた。
話しを聞くと伊藤さんは
「この後知り合いの人と約束があるんだ。」と言っていた。
私と妻は
「俺たちはもう少し採ってから帰るよ。」と言ってこの場で伊藤さんと別れる事にした。
ふたりきりになってしまうとお互い口数が少なくなってしまった。
私はこれがこの世で最後のセリ採りになるかも知れない事を覚悟していた。
そんな中、私は10日後に迫っている大学病院の生体肝移植の事を思っていた。
私が生体肝移植を受ければ妻が提供者となる。
妻の健康で正常な身体にメスを入れる事になってしまう。
しかも大学病院の先生の話しでは
私の病状では生体肝移植の成功率も【40%位】とあまりにも低かった。
移植の費用もわたしの がん の大きさでは保険適用外と言われた。
手術費用は何と【2,500万円】とかなりの高額だった。
家一軒が建ってしまう金額だ。
もし仮に生体肝移植が成功したとしてもこの膨大なお金をどう支払っていくのか・・・。
妻も手術の費用などが大変な事は当然分かっていた。
妻にしてみたらとにかく私の命を救う事だけを最優先に考えてくれていたに違いない。
他に方法が無いため、そして私を生かすために決断し、望みをかけたと思う。
しかし、もしも生体肝移植の手術を受け、その手術が成功したとしても
その後は毎日10数種類のも薬を一生飲み続けなければならない。
その説明が事前にあった時、私も妻もあ然としたことを覚えている。
また生体肝移植を受けたとしても考えるのは
手術中、もしくは手術直後に私の身に何か起きて死ぬような事があったら、
妻も手術後で入院をしているのだから誰が私の葬儀をあげるのか?
それより何より、私を助けるために正常な身体にメスを入れ、
肝臓を提供したにもかかわらず、私が死んでしまったら
妻はどんなに悲しむだろうか・・・。
現実として実際に起こりえる事であるし、可能性もかなり高いと思った。
妻の気持ちは痛いほど良く分かり言葉では言い表せないほどありがたいと思ったが、
そういういろいろな事を考えると私の頭の中は受けるか止めるか混乱していた。
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⇒234:セリを採る妻を見ながら思い出す~そして健康食品に全てを賭ける~
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