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末期がん(肝臓がん)闘病記 40

40:娘の車の修理を始める

~この闘病記の内容は2004年(平成16年)4月頃の出来事です。~



身体の疲れは闘病による体力の衰えと肝硬変のため仕方が無いと思っていた。

でも、末期がん 肝臓がんの進行にはブレーキがかかったと思っていた。

妻もそう感じていたに違いない。



孫もミニ動物園やミニ遊園地、そして散歩を楽しんで満足していた。

私達も十分に楽しい時間を過ごす事が出来た。。。



家に帰ると私は胆汁の処理をするのが日課になっていた。

この頃は、胆汁の出る量を測った事は無かったが、量は安定していた。


私はいつものソファで休んでいた。

家にいる時、眠る時以外、私の手から胆汁の容器のヒモが離れる事は無かった。



翌日、娘は自宅に帰って行った。

娘が思っていた以上に私の病状が安定している事に安心してくれたみたいだ。


帰り際、私は孫に、
「今度来る時は、じいちゃんもっと元気になっているからね。」と言って別れた。




娘と孫を見送った後、私は工場のシャッターを開けた。


いつものところに座り、工場に置いてある、
まだ修理が手付かずの娘の車を見ていた。


娘の車は私が始めて入院する直前に来たため、まだ何も出来てない状態だった。



一時はどこかに修理を頼もうと考えていたが、
今の病状を考えれば、毎日少しずつやれば直せると思い、修理を始める事にした。



しかし、いくら体調が良くなったとは言え、相手は末期がんだ。

思ったようには身体は動かず、始めたもののやっぱりスグに身体が疲れてしまう。。。


休んではまた始めるの繰り返しではあったが、
何とか私の手で修理してあげたいと言う思いが身体を動かしてしまう。


身体の疲れの中で、更に腰にある胆汁の容器が邪魔になり、
作業の妨げになっているいらだちもあったりした。









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⇒41:胸に抱いていたある疑問







私は末期がんを家族の支えと自分自身の直感を信じ続け、乗り越えて来ました。
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