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末期がん(肝臓がん)闘病記 64

64:空腹の日々

~この闘病記の内容は2004年(平成16年)5月頃の出来事です。~



私は緊急入院の日から主治医に食事を止められていたため、
病院の食事時間の間は、いつもの喫煙所のベンチで時間を潰していた。


ある時、喫煙所でこんな事を考えていた。



『どうして急に胆汁の出る量が不規則になってしまったのか。。。』

『もしかしたらあの時の造影剤の量で起きた副作用では???』



胆汁の出る量は多く感じていたが、1日中点滴を受ける事で
体調も少しずつ回復して来ていた。


私にとって脱水症状と言うのは初めての経験だった。


脱水症状を起こして亡くなる方がいると言う話を良く聞くが、
実際に自分自身が経験して本当に怖いものだと実感した。


もう2度と経験したくないと思った。

今後も胆汁の出る量には常に気をつけて行かなければと思った。


ただ、何よりも救いだったのは今回の【事件】が、
肝臓がんの悪化のためではないという事だった。




病院の食事時間が終わる頃、私は病棟に戻る事にした。


病棟の廊下を歩きながら、ちょっと不思議に思った事があった。


各病室の患者さんの名札の色が違っている事だ。


これは何の意味があるのだろうか。。。


私の病室の患者さんも1人だけ、名札の色が違っていた。


私は不思議に思い、病棟の案内板を見に行った。


この病棟は外科・泌尿器科・耳鼻咽喉科の混合病棟だったのだ。

どうやら名札の色はその関係で分けられているようだった。



病室に戻ってテレビを見ているといつもの事ながら、
食べ物に関する番組がやたらと多く感じる。。。


食事が摂れないため、余計にそう感じるのかも知れないが、
私にとっては苦しくて《酷》な番組ばかりだった。



点滴で血管の中は満たされているかも知れないが、
実際に食べ物を口にして、胃袋の中に入らなければ満足感は得られない。。。


この頃の私は、病人だから仕方がないと、無理やり自分を納得させ、
とにかく健康食品だけは忘れずに飲んで早めに寝るようにしていた。









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⇒65:病院での1日の始まり



私は末期がんを家族の支えと自分自身の直感を信じ続け、乗り越えて来ました。
同じ境遇の方々に『生きる勇気と希望』を感じて頂けたら幸いに思います。
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