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末期がん(肝臓がん)闘病記 75

75:2度目の『死』の宣告を受ける

~この闘病記の内容は2004年(平成16年)5月頃の出来事です。~



妻に支えられ手すりにしがみついて
何とかやっとの思いで1階に降りる事が出来た。


私は隣接するおふくろの家の縁台に寝て、救急車が来るのを待っていた。

遠くからかすかに救急車のサイレンが聞こえてきた。

その音がだんだんと近くなり私の家に着いた。


救急車の中へ運び込まれ、私は救急隊員の方に入院先の病院を伝えた。


隊員の方が私の血圧を測るが、前回と同じように
血圧がかなり低いためか、測りずらかったようだ。

何度も測り直す作業が続いた。


救急車は私を乗せてもなかなか動かなかった。

入院先の病院と連絡を取っているようだった。


隊員の方が
「もう少しで病院に向かいますから・・・。」と私に声をかけてくれた。


私にはこの時のわずかな時間が非常に長く感じられた。

そういう中にも意識は少しずつ薄れて行った。



脱水症状とは本当に恐ろしいものだ。

動こうとすればスグに吐いてしまう。
しかし、静かに寝ていれば激しい吐き気に襲われる事は無く楽になる。。。


この『楽』が命取りになってしまうのだろうか。。。



隊員の方が病院との連絡が取れたのか、やっと救急車は動き出した。


2004年(平成16年)5月、
私はこの1ヶ月に2回も救急車のお世話になってしまった。考えもしない事だった。


病院へ着くと看護士さんが待っていた。

救急隊員の方々が緊急治療室へと私を運んだ。


医師と看護士さんが「1,2,3」と声をかけ合い私を治療用のベッドへ移した。



ここまでは薄れていく意識の中で覚えていたが
その後の事は全く覚えていない・・・。


ただ妻はこの間主治医からこんな事を言われていた。


「奥さん、残念ですが今度はご主人は助からないと思います。
会わせたい方がいたら早めにお願いします。」
と。。。


私は死の淵をさまよっていたのかもしれない。


実に2度目の『死』の宣告だった。









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⇒76:目を覚ますとまた個室・・・



私は末期がんを家族の支えと自分自身の直感を信じ続け、乗り越えて来ました。
同じ境遇の方々に『生きる勇気と希望』を感じて頂けたら幸いに思います。
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