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このメールが肝臓がんの母を救う 2
2:私、 『がん』だって。。。
2007年(平成19年)9月初旬、まだ暑い日が続くある日の夜の事です。
中学生になる一人娘は母の家で夕食を済ませ、のんびりしているのか帰ってこないので
私はひとり遅い晩御飯を食べていました。
(母とは現在は同居していますが、当時は別居していました。)
ゆっくりと不安定な足取りの母が、
いつものように少し疲れた笑顔で娘を連れて一緒に帰ってきました。
相変わらず見るとも無くテレビに視線を合わせている私・・・、
何の変哲もない我が家の情景。。。
「言いにくいけど・・・」
立ったまま苦笑いの表情で「言いにくいけど・・・、」と母は繰り返します。
まったく見当がつかない話しの内容に、どう反応していいのか分からずに
テレビから視線を離さない私。
明るく若々しかった母は、いつの頃からか《そばに居ながら知らぬ間に》、
実際の年齢よりもずっと老けてしまっていました。
見かけは変わらなくても手足の動きは鈍く、歩き方は本当にいつ転ぶかとハラハラする程で
記憶力、理解力、判断力は極端に落ち、精神的にも不安定な状態が
1年くらい前から私にもハッキリと分かるようになっていました。
困ったように微笑んでいる母が言いました。
「私、【がん】だって。。。」
母は続けました。
「私までこんな事になってしまって、あなたが可哀そうで・・・。」
「娘を抱えて、それでなくても大変なのに・・・。」
「弟だけでなく、私まであなたに心配をかけてしまって・・・。」
私を気遣う母の言葉も、私は良く理解出来ずにいました。
私はただ黙々と、味も分らぬままに食事を続けていました。
確かに母はいつも
『肝硬変が進むと がん になるらしい。』と口癖のように言っていました。
私はそれをいつも受け流していました。
それが現実に起こってしまったのです。
しかしその現実を私はなかなか受け入れられずにいました。
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