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このメールが肝臓がんの母を救う 4
4: 診察に対する医師への不信感
内科での診察の際、今でも覚えていますが
母の胸のレントゲン写真は素人の私が見ても全体的にぼんやりとしていて
肺や内臓がハッキリと写っていませんでした。
『この状態は、普通じゃ無い。』
『何かおかしい・・・。』と感じました。
しかし主治医は『異常無いですね。』と言います。
腰の痛みを訴えても同じ事です。
主治医の内科医長と言う立場でありながら、いい加減としか取れない返答に
私は自分の疑問をぶつけてみました。
するとその主治医は信じられない言葉を私達に発したのです。
「私も分らないからいろいろと試しているのです。」
「この病気は、そんなもんですよ。」
そして最後には
「じゃあ、今度、午前中一番に来る?」
「午後からじゃ疲れちゃって・・・。
午前中の頭がハッキリしている時に。予約入れとくから。」
などとしきりに【忙しくて、的確な診断が出来ないのだ】と言い訳をするのです。
確かに、総合病院の勤務医は大変過酷な仕事だと思います。
しかし、患者は医者を頼りに長い待ち時間を耐えるのです。
私達は、主治医への不信感と不安を持ち帰りました。
医師の技術や病院の最新医療設備の差はあっても
私は全ての医師の根底には【患者を救いたい】と言う強い信念があるのだと信じていました。
しかしそれは幻想だという思い知らされる出来事でした。
主治医が入れた【午前一番の予約日】までには随分と時間がありました。
しかし母は、夜になると咳きこみ、胸の苦しさで食事はもちろん、飲み物さえ摂れない状態で
微熱による体力の消耗、更には寝不足が歯車をかけ限界の状態にまでなっていたのでした。
そして母は総合病院での診察の翌日、私が夜勤明けで眠っている間に
あまりの苦しさに一人で病院へ駆け込んでいました。
しかし、総合病院ではなかなか診察してもらえなかったため
途中で最寄り駅から電車に乗り、以前入院していた内科病院へと向かいました。
診断は【腹水が肺を圧迫するほど】危険な状態でした。
何故、総合病院の主治医は見抜けなかったのか・・・
どうしてここまで放置していたのか・・・
あれほど母は訴えていたのに。。。
その内科医院では院長先生が診察をして下さいました。
院長先生は一人で歩いて来た母に驚いて
「よく、こんな状態で歩けたね。」とおっしゃったそうです。
院長先生は母にその場で入院を勧めました。
とても、一人で帰すのは危ないと言ったそうです。
しかし母はどうしても一旦家に帰りたいと院長先生の言葉を振り切り、一旦家に帰りました。
母はここで入院をしてしまったら【もう家には帰れないかも知れない】と、
身辺整理のために帰ったのです。
その夜、母は入院の準備と全ての宝石や着物に
私達きょうだいの名前を張りつけたそうです。
総合病院の内科医長と言う立場でありながらの無責任な言動。
脳神経科の医長が触診で『腹水があるかな?』と気づいたにも関わらず
命の危険さえある病状にも全く気付かない診察。
内科医長は母の検査結果を【本気】で診たのだろうか? 今更ながら疑問です。
私達は医師に選ばれるのではなく、私達が医師を選ぶのです。
そのためにも患者や家族は、病気についてもっと勉強し、
医師に任せた時点で全てが終わるのではなく、
一緒に闘うのだという気持ちが大切だと言う事を思い知らされました。
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