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このメールが肝臓がんの母を救う 5
5: 孤独だった母・・・
今でこそ言える事ですが・・・、
その当時、私はまだ、母の気持ち、母の言動に何も気付いていませんでした。
母が死を覚悟で入院した事も、
私達きょうだいへ形見分けをしていた事も、
全ての記憶を無くす程の苦痛に耐え、たった一人病院へ駆け込んでいた事も・・・、
私は何も知りませんでした。
今もその時の母の気持ちを思うと胸が苦しくなります。
母が【腹水が肺を圧迫するほど】危険な状態で
以前入院していた内科医院にひとりで駆け込んだその日の夕方、
私の仕事先へ母から電話が入りました。
「明日、入院するから。。。」
今思えば、随分淋しそうな声でした。
当時、私は母がそんな状態で病院に駆け込んだ事など全く知らず
母の心情を見抜けなかった私は、母が入院する事で『安堵』していました。
実はもう1つ、『安堵』した理由がありました。
母の再婚相手は大変細かな人で、
髪の毛1本洗面所にあっても小言が出るような人です。
自分の所有物は、たとえ鉛筆1本、
それが我が子でさえ、使い、触れる事を嫌います。
またお金に関しては自分で全ての出費を記帳し、
いちいち母や子に使った金額を聞かせるほどの徹底ぶりです。
母は元々、私とは正反対で明るく、ポジティブな性格でした。
それが、子供達の自立(私達は義父の性格を嫌い、早くに家を出ました。)と
以前は義父は仕事柄、家に居る事が少なかったのですが
年齢的な事で毎日帰宅するようになってから急激に変わって行ったのでした。
母のストレスは義父の定年後、ついに爆発しました。
買い物で、心の穴を埋める日々が続いていました。
義父との『空間』が嫌で、いつも出かけていました。
誰も母の心の悲鳴に無関心でした。
義父が正面から息子と向き合う事はしないがために起こっていた義弟の家庭内暴力も、
父親への不満が原因だと分っていた母には辛い悩みでした。
しかし私達きょうだいには父子の母への甘えにしか思えませんでした。
自立出来ない二人の男を馬鹿馬鹿しく、そしてくだらないとしか感じませんでした。
この頃から、母の【肝性脳症】の症状が表れていたのです。
散財、突然の怒り、物忘れ、理解力の低下、襲いかかる不安、苛立ち、
そして【死】への誘惑と恐怖・・・。
私は母の精神の不安定は感じましたが
深い心の闇も、忍び寄る病魔も、何もかも無関心で守ってあげる事が出来ませんでした。
母をたったひとりにしてしまいました。
今も後悔しています。
『孤独な心』が母の身体を蝕んで行きました。
私がその事に本当に気付いたのは
母の【肝臓がん】と本気で向き合う覚悟を決めた時からです。
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