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このメールが肝臓がんの母を救う 7

7: 運命を左右した【転院】

昨年(2007年・平成19年)春の退院後も母は、
点滴治療を受けるため週に2回、病院へ通っていました。


季節的に暑くなるにつれ、母には相当な負担となっていました。


片道1時間の通院は健康な人間でも億劫になってしまいますが
その頃母は、『今までとは違う倦怠感』に異常を感じていました。

しかし院長先生は、母が「本当に辛くてすぐに疲れてしまうのです。」と訴えても
「今年は猛暑だからね。健康な人でもそうなるよ。」と言って取り合ってくれません。


しかし先生を信用するしかない私達には首をかしげながらも通い続けるしかありませんでした。




身体の異変を【本気で正確に】見抜いてくれる医者を母は探していたのでしょう・・・。

ある日母は「ここへ行ってみようかしら?」と、
電話帳の表紙に載っていた、ある内科消化器クリニックを指差しました。

そこには肝臓専門医』なる名前がありました。


その時通っていた病院もそうですが、『胃腸科専門』の病院は結構ありますが
なかなか肝臓専門の病院はありませんし、
ましてやその肝臓専門の病院は自宅からタクシーでわずかワンメーターの距離のようです。


早速私達は通院していた病院へ行き、
以前に転院を勧めてくれた看護士さんに相談しました。

「肝臓の専門医がいらっしゃる病院を見つけました。
そこの病院は自宅からも近くてそちらに行ってみようと思うのですが。」

するとその看護士さんは言いました。

「是非そうしなさい。
院長には私から言って紹介状を書いてもらうようにするから。
もしそこの病院が合わなかったら、またここへ戻ってくればいいから!」と。


看護士さんが言ってくれたその言葉に私達はどれだけ勇気付けられたか分りません。

私達は転院する事を決心しました。



そしてこの転院が母の運命を大きく左右する事になったのです。









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