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このメールが肝臓がんの母を救う 15
15: 『がん』との闘いが始まる
笹野さんの『がん』に対する考え方を感じ取る事が出来た私は
早速、『私が末期がん(肝臓がん)を克服できたのは・・・』のページをプリントアウトし、
特に【毎日の食事】の部分と
最後の【健康食品】のところの
≪心の底から信じる事!≫
≪信じ込む事!≫
≪信じて疑わない事!≫
≪信じて確実に実践する事!≫
の部分を黄色のマーカーで塗り、母に渡しました。
当時、母は食事が摂れず、また、積極的に摂る意志も感じられませんでした。
義父も『どうせ、食べられないだろう・・・』と、器に盛る量もわずかで
母の箸が進まないと、『無理しても食べろよ。』とは言わず、
さっさと器を取り上げ自分が食べてしまうのです。
その様子を見るだけで『余計に食欲が無くなるよ。』と母は嘆いていました。
食事も出来ない病人扱いにされ、母の食欲はますます落ち込んでしまったのです。
しかし私は母に
「無理でも食事しなければダメよ!人間、食べ力だからね。
お腹に力が入らないと、『がん』をやっつける事が出来ないよ!」と訴え続けました。
『たとえ、医者が見放しても絶対に私がお母さんを助けてあげるから!』
『どんな状態でも私がお母さんを救う!絶対にこのまま死なせやしないから!』
『私の事だけは信じて。私が信じるものを信じて!』
私はプリントアウトした【黄色のマーカーだらけの言葉】を
自分の言葉にかえて母に訴え続けました。
母は、いつも、どんな時も、私を信じてくれました。
『お母さんは、あなたを信じているから・・・。』が、私が幼い時からの母の口癖です。
この時も、母は優しく微笑んでくれました。
この日から
『大丈夫。絶対に私が治すから。』
が、私の口癖になりました。
【がん は不治の病】と言う世間の常識と闘う、強い意志の芽が私の身体中に育ったのです。
それでもやはり、涙は流れます。。。
明らかに母より年配の女性が元気に歩いている姿を見たりすると
『どうして?何で母だけ?!』と、恨めしい気持になる事もありました。
強い意志と揺れる感情は、常に私の内部で葛藤していました。
1つの希望が見つかると、別の絶望が襲って来ます。
その中でも更に強い信念を持ち続ける事は、やはり至難の業です。
医学の限界と進歩・・・
現実の経済力・・・
差し迫る日々の仕事・・・。
強い意志の芽は、なかなか揺るぎない立派な幹には成長しませんでした。
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