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このメールが肝臓がんの母を救う 18

18: 忘れられない一日 2

そして弟の手術が終わりました。


幸運な事に、弟の腫瘍は良性で全てきれいに切除出来ました。


また、手術室から出てきた弟は、既に目覚めていて声まで出ていました。

しかも第一声は『腹減った!』です(笑)。


術後にも関わらずあまりの元気の良さに驚きながらも安心しました。



弟が手術室から病室に運ばれて間もなく、
県病院での検査を終えた母がひとりでやってきました。

病院の駐車場が満車のため、義父は路上駐車で車中に残っているとの事でした。


母は、息子の元気な姿を見て、とても安心した様子でした。

また、弟の腫瘍は良性だった事や全摘出に成功した事などを私から話すと
本当に喜んでいました。


すっかり安心した私と母は、弟に
「せめて今晩だけは、食事も我慢して、テレビも疲れるから安静にしていなさいよ!」
と、笑いながら言い聞かせて帰ることにしました。



母の県病院での話しが気になって仕方がない私は、義父の車に乗り込むと同時に
母に『どうだった?』と聞きました。

そこで初めて、【抗がん剤治療】と【放射線治療】をする予定だと聞かされました。


正直、かなり肝機能が低下している母に、
これ以上、効果が当てにならない抗がん剤治療は、私なりに抵抗がありました。

また、放射線治療も、母の身体にどんな影響を及ぼすのか、知識の無い私は戸惑いました。



母の今現在の『がん』の状態はレベル的にどの位なのか?

抗がん剤治療は、どの位の確率で効果があるのか?

放射線治療の人体への影響は大丈夫なのか?

母の身体は、治療に耐えられるのだろうか?



たくさんの不安や疑問が私の頭の中で膨らんでいました。

それでも母は『大丈夫よ!』、そう言って笑いながら私の手を握りました。


一方、義父は【がん保険】の話しを始めました。

確かに、先立つものはお金でしょうが・・・、
何も今、話す事では無いだろうにと、少し情けない気持ちになりました。

それよりも母や私に『大丈夫だよ!』のひと声でもかけてくれたら
どんなに心強く思う事でしょう・・・。

でも義父は、ずっと保険の話しかしませんでした。


そして義父は帰宅するとすぐに、母に『疲れただろう?』と声をかける事も無く
真っ先に【がん保険】の証書を出して計算を始めました。

私はその光景が信じられず、驚きました。

少なくとも、私(義娘)の前でする行動ではない、と思ったのです。


そんな光景を見ていた私は本当に疲れてしまい、もっと母のそばに居たかったのですが
「弟の手術が上手くいって良かったね。」
「お母さんもきっと大丈夫だからね。」と言って、自宅へ帰りました。



2007年(平成19年)9月13日は忘れられない、本当に長い長い一日でした。









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