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卵巣がん再発…【SiteMap】

【54・最終章】: 治療が終わる ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2011年(平成23年)8月末。

私の体調は安定したまま、4回目の抗がん剤治療のため入院になりました。

今回は、抗がん剤の副作用もほとんど無く無事に終わりました。

先生からは、『腫瘍マーカーも正常値に戻ったので、CTを撮って問題が無ければ治療は4回で 終わりにしましょう。』と言われました。

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【53】: 腫瘍マーカーが基準値内に

そして3回目の抗がん剤治療のため、入院をする事になりました。

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【52】: お腹の痛み    ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

退院して家に帰ってから数日、
食事については、バランスが良い食事と言うよりは食べられるものを食べていました。

お腹の張りは良くなったものの、痛みはまだありました。

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【51】: 2回目の入院  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2回目の入院の日が来ました。

たとえ入院中であっても、『枇杷温灸』と『健康飲料』は続けようと思い
私はそれらを病院へ持っていく事に決めました。

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【50】: 枇杷温灸    ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

卵巣がんの腫瘍マーカーの上昇から、抗がん剤治療を受けましたが
やはり副作用なのか、身体はだるく、吐いてしまうと言う体調でした。

そうしているうちに6月(2011年・平成23年)になりました。

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【49】: 入院→抗がん剤治療 ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

笹野さんからの返信を読み、私はすぐに購入したい思いで、
お店に電話をかけましたが、話し中なのか繋がりませんでした。

しばらくしてかけ直してみると今度は繋がりました。

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【48】: 笹野さんのブログを見つけ、メールする

私は大学病院に行き、主治医の先生から今後の治療について説明を受けました。

主治医の先生は、『治療は前の薬と同じで地元の病院に話をしておくので
後はそちら(地元)の病院に行って入院する日を決めて来て下さい。』と言われました。

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【47】: 代替療法の限界?! 腫瘍マーカー跳ね上がる

2011年(平成23年)3月。

3月は子供達の卒業式と卒園式がありました。

私は、無事にそれぞれの子供達の式に出席出来た事で、正直ホッとする思いでした。

そんな思いもあり、卒園式は涙が止まりませんでした。

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【46】:検査結果で一安心な年末~卵巣がん再発 でも私は生きる~

早いもので2010年(平成22年)も、残すところ1ヶ月余りになりました。


私は、卵巣がん再発予防のため、玄米菜食をやってみようと思い、
DVDセットを購入して私なりに実践して来ました。

またその頃、枇杷生葉の代替療法がある事も知りました。

私は玄米菜食と枇杷生葉を両方一緒に取り入れれば、更に効果があると思い、材料を取り寄せました。

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【45】: 次第に安定する  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

度重なる入退院でしたが、抗生物質の点滴が効いたのか、炎症反応は次第に下がって来ました。

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【44】: 退院日にまた入院  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

入院をして抗生物質の点滴を受けてから数日が過ぎました。

炎症反応も【5度】くらいに下がって来ました。

炎症反応が下がるにつれて、脚の付け根の痛みも大分取れて来ました。

抗生物質の治療が効いているようで嬉しく思いました。

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【43】: 父亡くなる… 私は入院 ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私の熱が下がらないのはもしかして以前にもなった《リンパ嚢胞(のうほう)》?


私はそんな事をふと思い出し、急いで地元の病院に電話をして
検査をしてもらう事にしました。

この時、足の付け根が痛く歩くのに大変でした。

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【42】: 父が危篤    ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

抗がん剤治療後、家にいると、父が入院している病院から電話がかかって来ました。

父が高熱で危険な状態との事でした。

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【41】:抗がん剤治療+代替療法~卵巣がん再発 でも私は生きる~

退院した私は、代替療法ビタミンCの点滴治療を受けるため、そちらの病院にも行きました。

そちらの病院は子供達のかかりつけの病院でもあるため、いろいろと話しがしやすかったです。

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【40】: 抗がん剤治療再開 ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

腫瘍マーカーが【200】を超えてしまった事で、
主人は免疫療法をやってみようと言ってくれました。

そして主人の運転で免疫療法の病院へ。

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【39】:何が良いのか分からなく…~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私なりに卵巣がんを再発しないようにと、良いと思われることはいろいろ実践して来ました。

しかし現実は徐々に腫瘍マーカーが上がって来てました。

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【38】:今度は胃痛に悩まされる ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

両腕の付け根に痛みを感じ始めて2ヶ月程経った2010年(平成22年)4月、
この頃から痛みは次第に治まって行きました。


長く続いた痛みだったので、私は嬉しく思ってしました。


・・・が、そんな気持ちも束の間、今度は胃痛に悩まされるようになりました。

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【37】: 両腕の付け根に痛みを感じる 

家族を一日も早く安心させたい気持ちばかりで、腫瘍マーカーはなかなか下がりませんでした。

腫瘍マーカーに変化が出始めた2,010年(平成22年)2月頃から身体に痛みを感じるようになりました。

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【36】: 気持ちばかりが焦ってしまう 

免疫療法に加え、私は『気持ち』も大切だと思い、
《なるべくポジティブに考えて病気の事は考えない、忘れよう》と心掛けますが
なかなかそうも行きませんでした。

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【35】: 免疫療法を始めて… ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

免疫療法の先生がおっしゃられた通り、
動物性の食べ物も食べるようになってから2週間が過ぎました。

この頃、血液検査を受けたところ、何と、腫瘍マーカーが 前回より『20』下がっていました。

本当に嬉しかったです。

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【34】: 自律神経免疫療法  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私の心の中には、
《治験薬(抗がん剤)でとても大変な思いをした。。。》
と、痛感している『私』がいます。

ですからこの先も抗がん剤治療を始める事は怖く感じて、ためらいがありました。

また同時に、西洋医学だけでなく、何とか自分の力でも腫瘍マーカーを下げることが 出来ないものだろうか・・・、いろいろと情報を集めていました。

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【33】:PET(ペット)検査を受ける~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私はこの2010年になってから、
卵巣がんの腫瘍マーカーが徐々に上がって来ている事に、不安と焦りを感じていました。

《何で腫瘍マーカーが上がってしまうのだろう・・・。》

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【32】: 腫瘍マーカーが・・・ ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2010年(平成22年)元旦。

元旦は私達家族は毎年恒例で1泊2日の温泉旅行に出かけています。

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【31】:いろいろあった1年でした。~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2009年(平成21年)12月31日、大みそかになりました。

今年1年、私達家族にとって本当にいろいろな出来事がありました。

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【30】: 治験は中止に。同じ時期、私はウィッグを取りました。

2009年(平成21年)9月から卵巣がんの再発予防のため
治験薬を飲み始めて12月になりました。

相変わらず血圧は安定しません。

そして甲状腺の数値は高いままでした。

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【29】: 不安定な状態が続く ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

卵巣がん再発のため治験薬を飲み始めてから、
血圧が高くなるため治験薬は400mgに減りましたが、血圧はなかなか安定しません。

私は大学病院に行き、血液検査を受ける事になりました。

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【28】: 副作用で白髪に…  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

治験薬を飲み始めて1ヶ月半になりました。

卵巣がんの根治術の時、治療のため私は抗がん剤治療を受けました。

その副作用から私の髪は抜けてしまいましたが
ここに来て、ようやく伸びてきた髪が今度は白くなって来ました。

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【27】: 治験への不安が募る ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

卵巣がん再発の予防のため、治験薬の参加をしましたが
今までに無い副作用にこのまま続けられるのだろうか?と思うようになりました。

そして治験薬を飲んでから初めて大学病院に行く事になりました。

 

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【26】: 治験薬の副作用?  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

楽しい日は過ぎるのも早いですね。

久しぶりの『家族旅行』はあっという間に終わり、
私は治験を受けるため大学病院に行きました。

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【25】: 『治験』を受ける事に決める!

その後も何日間か、主人と話しました。

卵巣がん再発予防のためには何を優先すべきか。。。

そしていろいろ話しをした結果、大学病院で治験を受ける事に決めました。

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【24】: 『治験』を勧められる ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2009年(平成21年)7月初旬、その日は大学病院で血液検査を受ける日でした。

この日は主人も一緒に病院まで付き添ってくれました。


そして血液検査。

結果はこの日も特に異常は見られないと言うことで、私も主人もホッと胸をなで下ろしていました。


すると先生からこんなお話しがありました。

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【23】: 再発予防に免疫治療  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私が入院している間、親戚の方がお見舞いに来てくれた時、
食事の本を頂いたので私は再発予防のため、それを実践してみようとおもいました。

その食事の本は、基本編・実践編・ダイエット編の3冊でした。

それぞれの本には、食事の事などで健康的にいられる(暮らせる)内容がいろいろと書かれていました。

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【22】: 余命3ヶ月の宣告を受けていた私

6月になりました。

抗がん剤治療の副作用として足のしびれはありますが
他にこれと言う副作用はあまり感じられませんでした。

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【21】: 5クール目の抗がん剤治療


5月末には大学病院で5回目(5クール)の抗がん剤治療を受けますが
これで抗がん剤治療は終了予定です。

髪の毛が抜けてしまった事は女として、とても悲しい事ですが
あと1回で抗がん剤治療が終わることを思うとホッとする思いでした。

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【20】: 義父の死    ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2009年(平成21年)5月、
その年のゴールデンウィークは子供達にはかわいそうですが、出かけるのを中止しました。

その訳は、主人のお父さん(義父)の体調のためでした。

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【19】:大きな副作用も無く4クール目の抗がん剤治療へ

夜中に吐いた原因は、病院の夕食に出た脂っこいサンマを食べた事が原因のようでした。

魚は基本的に嫌いでは無いのですが、ちょっと脂っこい味付けだったため、
食事の後からちょっと気持ち悪く、夜中に吐いてしまったようです。

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【18】:3クール目の抗がん剤治療~卵巣がん再発 でも私は生きる~

そして2009年(平成21年)3月下旬、抗がん剤治療を受ける日が来ました。

子供達には私が前から話しをしていたので、少しは安心していたようですが
いざとなると母と子、離れるのは寂しいものです。

私は複雑な思いで大学病院へと向かいました。

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【17】:やっぱり我が家です! ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

こうして私は夢にまで見た我が家に戻って来る事が出来ました。

子供達も私の元気な姿を見て安心したようです。


子供達、そして家族にも本当に心配をかけてしまいました。

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【16】: 《退院》の目標が叶う ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私は気持ちの焦りを抑えるためにも目標を持つことを決めました。

『この日には退院する』と言う目標を決めました。


主治医の先生や看護師さんにも目標の事を話しました。

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【15】: トラブル続きの日々 ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

そしてまたちょうどその頃、
私は『下痢』にも悩まされていました。

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【14】: リンパ膿疱(のうほう)  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

卵巣がん摘出手術から3日目、私は個室に移ることになりました。

個室に移ってから私はしばらくベッドで寝ていましたが
何となく寒気を感じました。

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【13】: 手術直後の私    ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私は寝てしまったのか・・・、痛みを感じて目を覚ましました。

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【12】: 手術当日    ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2009年(平成21年)2月10日、手術当日です。

病院に主人の母と従姉妹が来てくれました。主人は後から来ると言う事でした。

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【11】: 入院~手術前日   ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2月になりました。

私は手術への不安はありましたが、家族の支え、身内の支え、
そして友達の支えのおかげで、明るくまた、前向きに過ごす事が出来ました。

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【10】:卵巣がん手術に向けて  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2008年(平成20年)大みそか。

大みそかは主人の実家にみんな集まります。

いつもと変わらない賑やかさで暮れて行きました。

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【9】: 髪の毛が抜け…  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

退院してからは出来る限り『自然体』を心がけ、
食べたいものを食べ、身体を休めるようにしていました。

それでも、子供が小さいので忙しかったですが、
私が思っていたよりは副作用は軽かったと思います。


何はともあれ普通に生活出来ましたから。。。

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【8】:初めての抗がん剤治療  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

そして2008年(平成20年)12月、
私は抗がん剤治療のため地元の病院に入院しました。

それは同時に私にとって初めての卵巣がん治療の始まりでした。

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【7】: まずは抗がん剤治療  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2008年(平成20年)11月、
11月は子供の学芸会や習い事などの発表会が多くあります。

病気になった時は見られないと思っていましたが
偶然にも入院が連絡待ちと言う状態でしたので、見る事が出来て嬉しかったです。

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【6】:原発は…、卵巣がん   ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

検査結果が出るまで私は出来る限り普段と変わらない生活を心がけていました。

しかし、普通の生活と言っても病気が病気だけに、
家事などをやるにも何か落ち着きません。


私は早く結果が知りたくて、何度か大学病院に直接電話をしました。

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【5】: 原発検査のため入院  ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

その頃、私の家では『がんの告知に対する治療』、
そして『がんの原発を調べる検査』に対し、今後どう対応するか、
またどこの病院に行くかが大きな問題となり、主人と主人の兄弟で話し合われていたそうです。

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【4】: がん告知を受ける   ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

卵巣摘出手術、病理検査を受けた日から1週間後の2008年(平成20年)11月初旬、
この日は気になる検査結果が出る日でした。

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【3】: 入院、病理検査、そして卵巣摘出
     ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私にとって全てが急な出来事でした。


実はこの半年前にやはり子宮あたりが痛く
MRIの検査を受けた事がありました。

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【2】: 『卵巣がんの可能性が高い』と言われ…  
      ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

急患で診て頂いた次の日は地元のお祭りの日でした。

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【1】: 体調の異変    ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

2008年(平成20年)8月、私は子供を授かってからは、
専業主婦をして3人の子供の成長を見守りながら、学校や保育園での役員をしたり、
忙しい時には身内が経営している会社の手伝いをしたりする、
ごく普通の生活を送っていました。

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