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      ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

【2】: 『卵巣がんの可能性が高い』と言われ…  
      ~卵巣がん再発 でも私は生きる~

急患で診て頂いた次の日は地元のお祭りの日でした。


私はこの日、お神輿や踊りなど、子供会の関係で一日中歩き通しの予定でした。

体調的には決して良い状態ではありませんでしたが
痛み止めの薬(ロキソニン)を飲んで何とか一日を乗り切る事が出来ました。

楽しい一日を送る事が出来ました。




そして次の日、
私はその行きつけの産婦人科病院で診察をしてもらう事にしました。

私はそこの産婦人科病院で3人の子供を産んでいるのでやはり馴染みがあり、行きやすい病院でした。


先生はまずMRIを撮る必要があるとの見解でしたが、
そこの産婦人科病院は個人病院のため、MRIが無いとの事で、
違う病院でMRIを撮り、私はそのデータを持ってまた診察を受けに行きました。



待合室では、検査結果の事を考え、ドキドキしながら待っていました。



しばらく待つと、診察室へと呼ばれました。



『卵巣がんの可能性が高い』との事。。。



《私ががん?・・・》



正直、その時の私には実感がありませんでした。



それどころか、その時私は先生に

『先生、とにかく体調が辛いので、まずは卵巣を早く取って下さい。』

などとお願いしていました。




しかし『がん』の可能性が高いからでしょうか・・・、
先生も卵巣を取る事に了承して下さり、入院は1週間後と決まりました。





次へ進む   【3】: 入院、病理検査、そして卵巣摘出




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