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【32】: 腫瘍マーカーが・・・ ~卵巣がん再発 でも私は生きる~
2010年(平成22年)元旦。
元旦は私達家族は毎年恒例で1泊2日の温泉旅行に出かけています。
宿泊先も例年ホテルで決まっていたのですが
この年はホテルではなく、旅館に泊まることにしました。
父の体調、そして料理面を考慮しての事でした。
しかし旅館にはホテルと違い、ゲームもプールもありません。
子供達が退屈するのではと、行く途中、トイザらスに立ち寄って
頂いたお年玉で好きなものを買ったりして上機嫌でした。
でもやっぱり旅館はホテルと違ってのんびりします。
普段父は、デイサービスやショートステイでお世話になっている事が
多くなりましたが、この恒例の家族旅行に父もとても満足な様子で
『やっぱり正月はみんなで居るのが良いなぁ。』と喜んでくれていました。
私はと言えば、まずは家族の健康、
そして卵巣がんを再発させないために頑張ろうと決意新たに誓う1年の始まりでした。
正月は治験薬を止めた事で、血圧も徐々に安定して来たように思います。
しかし、卵巣がん始め、数値が安定しているか否かは
毎月大学病院で受けている血液検査で判断しています。
そして大学病院で血液検査を受ける日が来ました。
今回から治験薬を止めた事で、元の主治医に診てもらう事になりました。
結果・・・、【経過観察】と言う事でした。
血圧は元に戻りましたが、白血球の数値は正常値より低い数値でした。
翌月、翌々月の2月、3月の血液検査でも白血球の数値は低いままで
卵巣がんの腫瘍マーカー(CA125)が《13》と少しずつ上がっていました。
《35》までは正常値内と先生はおっしゃっていましたが
私としてはいくら正常値と言ってもやはり『上がる』事を考えると
内心は穏やかではありませんでした。
そしてその後の4月5月も卵巣がんの腫瘍マーカーは徐々に上がっていました。
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