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【4】: がん告知を受ける ~卵巣がん再発 でも私は生きる~
卵巣摘出手術、病理検査を受けた日から1週間後の2008年(平成20年)11月初旬、
この日は気になる検査結果が出る日でした。
たまたまこの日は兄の家でお祝い事が行われる日でもあったため
私は気にかけていましたが、そんな私に気遣ってくれて
兄をはじめ皆さんが『来なくて大丈夫だからね。』なんて言ってくれたりしてました。
夕方近く、主人と母2人が病院へ来ました。
この時の雰囲気に、私は検査結果に対する事の重大さを感じ取りました。
少し重い気持ちで先生のいる診察室へ。
検査結果は《がん》と言う事でした。
そして先生からは
『原発がどこか分からないからまずは消化器系を検査してみて下さい。』と言われました。
母は泣くし、私はどうしたら良いのか分からず
『先生、明日退院させて下さい。』などと言ってしまいました。
主人と母が帰って行った後、
私は病室に戻りました。頭の中は真っ白。。。
その夜、お友達何人かと電話して話しながら泣きました。
布団をかぶって・・・。
友達ってホントにありがたい。。。
次の日、私は退院しました。
でもその夜、熱が出てしまい、病院に電話をし、
結局元の病室に早くも戻る事になってしまいました。
大きな手術からまだ1週間ですからね、
退院にはやはり無理があったようです・・・、
これには病院の方も笑っていました。
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